難病・ALSについて

⑴ALSの初期症状


日本で指定難病は338疾病とされています。妻は、その中のALS(筋萎縮性側索硬化症)というものでした。私(母を被ばく後遺症で亡くした被爆者2世です。)も妻も元々、頑健な体質ではなく、妻は健康管理には凄く気を遣っていてバランスの良い食事にサプリメントの摂取、快適な睡眠が取れる寝具、適度な運動など心がけていて、私にも様々なアドバイスをしてくれて、お陰様で妻も私もこれまで入院するような大病に罹ることなく過ごしてきました。妻に見過ごしてしまいそうな症状が出だしたのは2020年の夏頃でした。最初は咳が出て止まりにくい状態で、風邪かな?、、飛来してくるPM2.5の影響かな?、、とも話していました。その後、秋頃から立ち上がり動作で転んだりする事があり、年齢のせいかな?、、私自身も春先にトレーニング中に転倒して手首を骨折したりしていましたので、お互いに年だから気を付けないとねと笑っていました。

⑵確定診断

その後、歩きづらくなってきて、日常生活に少し支障が出始めて、さすがに病院での受診を勧めましたが妻は非常に賢い人で、今の状態で受診しても原因不明の診断しか出ないから、まだ行かないと言っていました。(妻は日頃は、とても優しい人なのですが、こういう点ではとても頑固でした。)11月に入ると更に自立歩行に支障が出始めましたので、妻の申し出もあって近所のクリニックを受診して、そこから地域中核病院である日赤病院で精密検査を受けることになりました。私もネット等の情報でALSの可能性を疑っていましたが、そうであって欲しくないという願望と妻は漢方薬を飲んでいましたので、症状の近い偽アルデストロン症ではないかと希望を持っていました。日赤病院でMRI等の様々な検査を受けた後、医師との面談でALSや偽アルデストロン症のこともお話しさせて頂きましたが、診断は原因不明とのことでした。(この時はまだALS難病などの確定診断が出来る医師が限られているということを知りませんでした。)年が明けて2021年1月に更に高度な検査が必要という事で、佐賀医大病院に検査入院して1月中旬にALSの確定診断を受けました。妻が一番辛く大変なのですが、診断を受けた直後は「どうして?、、」と私の胸の中で涙を見せていましたが、その後は気丈に医師たちからの今後の治療方針のことなど私と一緒に聞いていました。

⑶相談出来る人の存在

私も自分がしっかり妻を支えなければと思っていましたが、内心これからのことを思うと心が動かないパニック状態になっていました。その後、誰かに話を聞いて貰えたら、少しは心が整理できて落ち着いた精神状態になれるのかなと思っていました。こんな時に近くに相談できる人が在れば心強いのですが、誰もがそんな状況にあるとは限りません。逆に間柄が近すぎるから話せないこともあります。プライバシーを守ってくれる人は、なかなかいない場合も多いようです。そんな時は、私でよければお話しを聞かせて下さい。経験値からお話出来る事柄もあるかもしれません。また、守秘義務は必ずお守りしますので、プライバシーが洩れることもありません。話をすることで、気持ちの整理が出来て今後の対応策が進むこともあります。何よりも少しでも辛い気持ちが楽になれば幸いです。心からお待ちしております。

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行政書士辻賢一事務所