愛する人が亡くなった後

家族葬の後の報告

妻が亡くなって家族だけの葬儀を終えた後、妻の母や姉妹弟、自分の近しい友人に報告をしました。妻の母や姉妹からはおしかりを受ける覚悟でしたが、娘も居てくれたお陰なのか泣かれても、それほどしかられることはありませんでした。後日に聞いたところ、自分と娘がかなり瘦せていたので責める気持ちにもなれなかったとの事でした。また家族だけで送って欲しいという妻の気持ちを妻らしいという事で分かってもらえた部分もあったのかなと思います。初七日までは、自分の友人や妻の友人、思いがけず佐賀医大病院の病棟の同室だった方などの来訪もあり、娘と息子も残ってくれて気が紛れていた事もあると思います。初七日が終わると娘も息子もそれぞれの日常に戻り自分も忌引き明けで仕事に復帰しました。

現実のものとして受け止められない

仕事に戻り日々は過ぎては行くのですが、この頃はまだ妻の死を理屈では分かっていても現実のものとして受け止められない日々、状態だったと思います。朝起きて妻に「おはよう」の挨拶をして居ないことに気付き、今日は妻のパジャマを洗濯して病院へ届けなくてはと思い、洗濯籠を見て現実に引き戻される。仕事中に面白い話やホッとする出来事があると妻に話そうと思い帰宅して居ないことを思い知る。妻が好きだった料理を知らないうちに二人分作ってしまう。そんなことの繰り返しでした。この頃は周りからは意外と元気にやっているように観える時期だったようですが、本当の孤独感や寂しさが襲ってくるのは、この後になります。出来ることならば周りの方々は、この後の時期を気配りして貰えたら突発的な後追い自死など不幸な出来事も回避出来るケースもあるのかなと思います。

時は経ち、生きてゆく

四十九日には特段にお知らせもしませんでしたが、自分や妻の友人がお参りに来て下さりました。生前から妻と話し合って特定の宗教に信心はしてなかったので、子供たちと一緒に妻の好きだった天使のオブジェやお花を飾って聖壇コーナーを作って飾っていました。特定の宗教は持ちませんので、どうかあなたの信じる宗教でお参り下さいとお願いすると仏式で長い時間お経を挙げて下さる方、神式でお参り下さる人、クリスチャンの方は十字を切って祈って下さるなど宗教は人それぞれ、その人の心の中にあるものだと改めて感じました。納骨は行いませんでしたので、何時も妻は自分と一緒に居てくれます。外出時の為に娘が遺骨を入れられるブレスレットをプレゼントしてくれました。一緒に出掛けたい時は必ず腕に付けて外出しています。

また逢える日を信じて

妻が亡くなって三カ月を過ぎた頃、娘から電話を貰いました。衣食住の事など心配してくれての事でしょうが、決して妻の処へ逝くなどとは思わないようにと言われました。「パパとお母さんでは人としてのステージがまだ違い過ぎるから行っても逢えないよ。」と「生命を与えられている間は少しは人の役に立って、お母さんにまた逢えるように生きないと駄目よ。」と諭されました。本当に娘の言う通りだと思いました。この頃は妻に逢いたいと思ってばかりいました。亡くなった自分の母は長崎での被爆の後遺症に長年苦しまされました。自分自身も小学生の頃までは原因不明の小児性リュウマチと診断されて発症すると歩けなくなる症状が出ていましたので、何となく自分は長くは生きられないと思っていました。空手道を学んだのも頑健ではない心と身体を何とかしたかった事が大きかったと思います。慌てなくても、何れ誰にも死は必ず訪れます。妻にまた笑顔で逢えるように残された日々を重ねて生きたいと思っています。

行政書士 辻賢一事務所