暴力に関する体験記。

暴力に関する事件簿②

2件目の事件は30代の後半頃でしたか、、その頃は自分は空手教室の高校生以上の一般部クラスを指導するようになっていました。地方大会の出場を目指す選手コースの指導も合わせて担当するようになっていました。地方大会の組手の部(実際に突きや蹴りを相手に当てる直接打撃制ルールの試合です。)にも出場して3回戦まで勝ち上がり頑張ってくれた大学生の生徒A君が(ここではA君とします。)就職先も決まりましたので、試合の慰労と就職内定のお祝い会を兼ねて2人で福岡にサシ飲み会に行く事にしました。

親不孝でオヤジ狩り。

どうせなら少しお洒落なお店にしようと、ガイドブックを片手に黄昏の親不孝通りを歩いていました。(その頃は近くに大きな予備校が複数有って親不孝通りと呼ばれてました。)前方からチーマーぽい5人組の若者達がすれ違いざまに声を掛けてきました。自分は172㎝65kg位ボーとしたその頃からもイケてない容貌です。大学生の生徒は165㎝60kg位小柄で今風に言えばジャニーズ系の美青年でした。この2人がガイドブックを見ながらキョロついていたので(スマホなど普及してない頃です。)絶好のカモだと思われてしまったのでしょう。黙って財布を出すように命じてきました。

手を出すな。足を出しました。

自分は、少し嬉しくなって笑顔で丁重にお断りしました。その態度が気に入らなかったのか、若者たちのリーダー格と思われる男がバタフライナイフを出して更に恫喝してきました。自分は争いは避けられないと判断しましたが、A君は固い職業に内定が出ていましたので、争い事はまずいと思い「Aは手を出すな。」と叫びましたが、時すでに遅くA君は若者の1人が掴みかかってきた手を払うと同時に、見事な後ろ蹴りを短い間合いから当てていました。自分はリーダー格の男の視線がそちらに逸れた瞬間にナイフを手刀で落とすと同時に入り込み肘打ちを顔面に当てました。あっという間に2人が倒れてしまったので、残りの若者たちは何が起きたのか、すぐには理解できていない様子でした。A君は後で「師範代が手を出すなと言われたから足を出しました。」と笑っていました。

やはり暴力は許されません。

その後残りの3人は、我に返って走って逃げ去ろうとしましたが、「仲間を見捨てるな、連れて帰れ。」と声を掛けましたが、その後は知りません。自分とA君は、お店探しを再開しようと歩き出しましたが、今回はパトカーではなく、制服警察官数名が前方から走って来ましたので、向こうで騒ぎがあったみたいです。と報告して、ガイドブックに載っていたお洒落な居酒屋さんが近くに見つかったので入りました。A君と酒の肴に先ほどの争いの反省会に当然ながらなりましたが、路上の乱闘に回転系の蹴り技は危険なことと(転倒のリスクが高くなります。ショートレンジの膝蹴りや肘打ちが有効です。)チーマーぽい若者たちを反面教師に暴力はダメなことを話しました。ただ、身を守る術があることも大切なことだと思います。その後、立派な公務員となったA君とは、たまに会う機会があると、この事件の事を懐かしく思い出し話に花が咲きます。

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行政書士 辻賢一事務所