身体の安全装置。
そもそも人間は、一時に過度な負荷がかからないように安全装置のようなものが働くと言われています。仮に最大値で100の能力があっても普段は筋肉や内臓への過度な負担を和らげる為に70から80位の力しか出せないようになっていると言われています。この安全装置のリミッターを外すと想定外のパワーが出せる場合があります。火事場の馬鹿力と言われるもので、火事の際に細いご婦人が大切なピアノを1人で持ち上げて外に運び出した等の逸話があります。自分の体験上でも以前にお話しさせて頂きましたが、小柄な男性が薬物の副作用で想定外の力で暴れたりしたことも、この作用だと思われます。自分が修練してきた空手道においても裂ぱくの気合や呼吸法は一時的にこの安全装置を外して大きなパワーを出す技法とも言えるかもしれません。
心の安全装置。
身体だけでなく心にも、この安全装置は存在します。学んできた良心と言われる道徳心や同種の保存の法則(動物世界においても同種族での争いは、角や牙の大きさで競って決めるとか死に至らないように一定のルールが存在することが多いようです。)による本能的な良心により、人を傷つけたり、ましてや殺してはいけないという安全装置が普通は機能します。刃物で相手の体幹部や動脈を深く刺したり、金属バットで思いきり頭部を殴打すれば死に至らしめることになります。強い殺意が無ければ通常の争いごとでは、無意識のうちにも相手の急所を外して攻撃します。以前に自分が行政の仕事をしていた頃に、医療廃棄物の問題のトラブルで刃物で襲撃された時も、脅しが目的だったようで明らかに殺意までは感じられなく、腰骨から外側に外れ軽傷のかすり傷で済みました。ただ最近の無差別殺人事件等を検証すると、この良心という安全装置のリミッターが壊れてしまっているとしか思えない事件が起きているようです。
素手で身を守るには、、
このようないわれもない理不尽な暴力には、兎に角逃げること、危険回避が一番の護身術になります。刃物などによる襲撃に、廻りに身を守る上着やタオルなど何もなく、どうしても素手で対峙しなければならない場合は、やむを得ない方法ですが腕を使って下さい。腕を顎の位置辺りに上げて首や体幹部までの距離感を狂わせて下さい。犯人が刃物を振り下ろしてきたら、犯人を押し倒す勢いで腕と一緒に思いきり前に出て下さい。真っ直ぐ刺してきたら、腕ごと下に叩き落して下さい。腕が当たれば犯人からの初撃は致命傷には至らずにかわせます。その後は、何をおいても犯人から逃げること。一瞬の判断ミスが生死を分けます。腕に怪我は負ってしまいますが命には代えられません。止血処置については、後でまたお話したいと思います。