別れの時
娘と交代して、自宅に帰り無理やりに冷蔵庫にある食べ物を口に入れて、入浴して床に就き目を閉じました。眠れたかどうかは覚えていません。この頃の記憶はあまり定かではありません。当時のスケジュール手帳を見返してはいるのですが、すっぽりと抜け落ちているところもあります。翌日、数日ぶりに会社に出向いて今後の勤務のことや、手続きなどを行っていました。娘から連絡があり、妻の血圧が低下しているので明日あたりになるかもしれないと看護師さんに言われたとの報告を受けました。遠方に住んでいる息子にその旨を連絡した後に、再度娘から連絡があり今日中になるかもしれないと言われ、病院へ向かいました。何となく、自分は間に合わないのではないかと思いましたが、娘が居てくれるので不思議と焦りはありませんでした。コロナ禍でしたが病院側の計らいで、たくさんの時間を妻の傍で過ごせたからかもしれません。
エンゼルケア
病室に入ると娘は涙ぐんではいましたが、気丈にも微笑んで先ほど静かに妻が逝ったことを伝えてくれました。主治医や看護師さんから臨終の時間や様子をお聞きして妻の顔を観ました。妻は相変わらず美しく安らかで眠っているようでした。髪を撫でながら「よく頑張ったね。ありがとう」と伝えました。看護師さん達が死後のエンゼルケアを行って下さるとのことで、娘と自分は傍らに控えていました。看護師さん達が妻に言葉をかけて下さりながら、ヘアーメイクやメイクアップをして下さり、妻は更に美しくなりました。妻の友人でもある看護師さんや他の担当の看護師さん達からも「辻さんは素敵な人だから、何時も綺麗で居てね。」と言って下さり勤務時間外でも妻の髪をブラッシングしたりメイクをして下さったお陰で妻は最後まで凛として美しく存ることが出来ました。本当にありがとうございました。感謝の気持ちしかありません。
来世で、また逢おうね
その後は、自宅近くの斎場に連絡したり、娘と相談して葬儀の日時を決めたりしました。息子に連絡しましたが、お母さん子だったので臨終に間に合わなかったことが可哀想でした。妻の遺言で葬儀は家族だけで送ると決めていましたので、自分は会社に家族葬で行うことを連絡する以外は何処にも連絡しませんでした。妻の母や姉妹、弟には怒られることを承知で葬儀が終わってから知らせました。悲しみが大きすぎると現実を受け入れられないのか、不思議と涙は出ませんでした。妻を囲んで自分と娘、息子家族だけのゆっくりとした時間を過ごすことが出来ました。妻とはお互いが元気な時に、自分は被爆者二世で元々は身体が頑健ではないので、戯れに「どうせ俺が先に逝くだろうから、ママは綺麗だから幸せな再婚してね。」と言ってました。妻は、「しっかりパパを送ってあげるけど、もしも順番が逆になったら何も出来ないパパが心配だから再婚してね。」と笑って戯れことを返してくれていました。そんなことを想い出しながら火葬場で「俺の妻は貴女だけです。つまらない男ですが、また来世で出逢って結婚して下さい。」と妻に最後のお願いを伝えて送りました。